2015年12月末日、訳あって10年近く勤めた会社を退職した。
次にどうしてもやりたい仕事があった訳ではなかったのだが、地方創生とか地域ブランディングとか地方におけるまちづくりとか、ソーシャルビジネスとか日本版CCRCとか、インバウンド需要の取り込みだとかやたら喧しく、我が子が保育園に落ちた親御さんの「日本死ね…」と不穏当な発言に色めき立った永田町界隈の議論に触発され「待機児童解消が不可能な大都市圏の人は地方に移住すれば良い」などと無責任な発言をする文化人を自称する方々を見るにつけ、どれもこれも日本各地で起きていること、地方経済の状況や地方自治体の財政状況、そこに住む人の活動と心情、何一つ現状の正確な把握ができているのかどうなのか怪しい、いわゆる思い込みベースの発言に辟易する一方、地方に生活する者として「そんなことを言っているからいつまでたっても地方は生まれ変われないんだよ」と思いながら手をこまねいている自分自身にあきれていたりもする中で、なぜか「地方で出版社をやろう…」と、出版不況とか斜陽産業と言われている業界に敢えてチャレンジしなければならないようなことを思ってしまった。冷静に考えてみれば、会社という組織を離れ、自分の家族すら幸せにできているかどうか自信を持てないたった一人の私が、地方に関するいろいろな考え方、政策、新しい事業領域など、世間で議論されているあらゆることに、カメラを携えペン1本で挑むのはあまりにも無謀。「そんなことはエラい政治家の先生方に任せて…」ということも考えてしまう。もちろん私を取り巻く環境の中で非常に貴重な存在である友人や知人は、私の出版社創業というアイデアに「是非やってみてほしい」などと好意的な意見が大半で、家族もほぼ黙認。
しかし困った問題が2つ。1つ目は実際に事業計画を試作してみたのだが出版社として業を起こすことは難関中の難関。記者として、編集者として、制作者としての心得は持ち合わせているつもりでいるのだが、それ以前にお金がないのである。首尾よく創業資金を融資してもらうことができたとして、事業継続の見込みが立たないのだ。かなりリアルな試算をしてみてやっと「そりゃそうだ」と納得した。しかし一度思いつき、それに向けてかなりの時間を費やした。それを全て諦める勇気がない。行き詰まった。2つ目は、当然岡山以外の地域で同じような志を持った人たちが立ち上げている出版やソーシャルビジネスに関する情報をひたすら集めてみた。そしてそこで働く人たちの熱意について触れた。刺激されないわけはないが、1つ分かったことは、「同じようなことを考え、事業化に着手した人、成功した人たちが多すぎる」ということだ。もちろん中には全国各地の地方を網羅的にビジネス展開しようと考えている人たちも多く、私がこれからどんなに頑張っても先行者と必ずシェア争いする必然があるということだ。従業員は私たった一人というスモール・スタートでの起業すら採算が見込めない状況の中、何人もの共同ファウンダーがいたり結構な数の従業員を抱えている先行企業を見ると「羨ましい」という言葉しか出てこない。
そんな中で、私と似通った志を抱くネットメディアなど先行企業に、私の書いた原稿を掲載してもらうことを生業にするという考えが頭をよぎった。そんな中、日本のインバウンド需要喚起と、日本の地方の底力に魅せられそれを海外に発信しようとする企業に出会った。その企業とは記事の共有(当然、メディア特性の違いを考慮した記事の書分けはしなければならないだろうが…)も可能という条件を了承して頂けそうで、私が立ち上げようとする出版社で紙と電子とネットでアウトプットする一方で、先方のネットメディアでも発信してもらうような形態になる可能性が高く、今後、岡山に関する記事を投稿するという関係がスタートするだろう。岡山からの情報発信に寄与する大きな活動の1つかも知れないが、どうも釈然としない。あらゆる地方の問題に対する1つのアプローチの形であることには違いないが、いつまでたっても地方のあらゆる問題が改善していくイメージが持てないのだ。その時に気付いた。確かに私自身のスキルという観点から見れば少なからずフィットした仕事なのだろうし、だからこそそういう手段を選んだはずなのに、それだけで満足できない理由があることに気づいてしまった。そもそも会社を辞めた後、次のステップへを目指した原点に立ち返れば自明なのかもしれないが、目の前に立ちふさがった2つの問題に邪魔され見えなくなっていたのかもしれない。岡山という1地方都市の抱える問題を改善できる、いや劇的にチェンジできる可能性を秘めた事業群、つまり出版事業を柱としたソーシャルビジネスという広い枠の中で政策実行型の網羅的な事業展開を行う新しい企業の姿を自分で作り上げてもいいのではないかという発想である。
「瓢箪から出た駒…」
なんとなく関心のあることを進めていくと、接触する人たちとの関係や多くの情報から受けた影響、私自身の考え方、家族の幸せについて、岡山の近い将来のこと、そして日本の未来のこと、紆余曲折がありながら当初イメージできなかった「駒」が、思いがけない周囲との関わりの中からポロンと出てきた感じである。
そして結局たどり着いたのは「岡山研究所」という何をしているのか分かりにくいが、逆に何でもできそうな看板を掲げて事業をスタートしようということである。とは言っても確固たる自信があるわけではないし、事業計画は今後作り直さなければならない。また今後も「瓢箪から出た駒」が事業領域を広げるかもしれないが、そう思うと楽しくなってきた。
2016年4月20日
岡山研究所 高橋照一
投稿者プロフィール
- 新聞記者、書籍編集者、大学教授、WEB制作、マーケティング、経営戦略などを経て、岡山地域の創生やブランド価値向上のため岡山から世界に向けた情報発信を行いながら地域の活性化や岡山への移住促進のため岡山研究所を立ち上げた。